

- 制作内容
- イラスト / デザイン / キャラクターデザイン・ライセンス / 作詞 / コピーライティング / シナリオ制作 / 絵本 / その他
- できること
- 各種制作およびデザイン / 水彩・イラストレーション講師 / 美術モデル / 創作にかかわるその他のこと。
- 略歴
- 京都府在住。図案家で美術教師の両親の元、芸術に囲まれた環境で育つ。芸術大学で美術、デザイン、文芸を学び、デザイン事務所を経てフリーランスになる。2014年〜バンタンゲームアカデミー大阪校講師。イラスト、デザインを中心に、多岐にわたる創作活動を行う。
- 制作環境
- アナログ:透明水彩 / カラーインク / アクリル絵の具 / 岩絵の具 など
デジタル:Photoshop CS3 / Illustrator CS3 / InDesign CS3 / Flash CS3 / CLIP STUDIO PAINT / Wacom Cintiq13HD
- ご連絡先
- mail info@nakamura-aiko.com web http://nakamura-aiko.com
- 絵を描く理由
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芸術、だなんて大げさな。ずっと鼻白んだ気持ちを持っていた。
高校受験のためのデッサン教室に通いはじめた頃からだ。
絵を生業とする家人の影響で、自宅には画材や画集が沢山あった。
そんな環境の中、私の遊びはもっぱら絵を描いたり工作をすること。
それは自然の成り行きだった。
両親には、絵の描き方なんて一度も教わったことがない。
父と母は仕事で毎日絵を描いていた。
好きな漫画のキャラクターを言うと、父はそれを私のスケッチブックに描いてくれた。
山のような画材や工具が、押し入れの中に詰め込まれていた。
私はそれを引っ張り出しては、使い方も知らずに、夢中で遊んだ。続きを読む
彫刻刀でよく指を切って泣いた。手には今も白い傷跡が残っている。
それでも母は、画材の使用を禁じなかった。
子供だった私にとって、絵を描くこと、物を作ることは、自然な遊びだった。
中学生になっても、相変わらず好きな絵を描き、
美術部などにも所属しない私に、幸か不幸か美術高校の推薦が決まる。
入試には実技の試験があり、その対策だけはしておくことになった。
描くことが義務になると、途端にそれは苦痛になる。
私は初めて、絵の描き方を教わった。
絵は上手くなったが、私は自信をなくした。
自分の絵に「正しさ」を求めるようになったからだ。
「絵を描く」ということがわからない。
まるで魔法をなくした「魔女の宅急便」のキキのような気分だった。
それから10年以上、私は芸術に対する気後れを抱えて過ごした。
描くことも描かないことも、芸術の一貫だと思う。
常にそれについてイメージし、考え続けるならば。
どれだけその事や、それ以外のことについて思考したか。
費やした分だけ作品に現れる。
技術や制作ということ以外に、本人が体験したこと感じたこと、
それを技術がアウトプットする。
今思えばそれも、自然な成り行きで知ることができてラッキーだった。
私にとって芸術は、切っても切れない腐れ縁のようだ。
愛しくも憎くもある、一筋縄ではない頼もしい存在。
父の死をきっかけに、私は死を身近に感じるようになった。
人生は短い。生きている間に一体何ができるだろう。
そう考えると、つまらない事をする暇はない。
自分にできることは何なのか。
やりたいことをやると決めた。つくることが好きだった。
答えはすぐ側にある。子供のころからの遊びを仕事にした。
自分が作ったもので、誰かを幸せにできたら。
世界がほんの少しだけ、過ごしやすくなったら。
自分にできることが、世の中の役に立ったら。
その思いを創作に尽くそうと思う。閉じる